- バレーボールがいつ、どこで生まれた競技なのか答えられない
- 日本だけ9人制があるのはなぜなのか、理由を説明できない
- ラリーポイント制やリベロがいつからのルールなのか知らない
こんな疑問を解決します。
バレーボールの歴史は、5つの節目だけ押さえれば全体の流れがつかめます。
私は元日本代表として活動し、SVリーグで監督を務めることができるバレーボールコーチ4の資格を保有しています。
10年以上スクールで中高生を指導してきましたが、歴史を知っている選手ほど、ルールの理由をすんなり飲み込みます。
なぜこの反則があるのか、なぜ25点で1セットなのか。成り立ちがわかると、丸暗記しなくてよくなるんですよね。
ぜひこの記事を参考にしてみてください。
- 誕生から今の形になるまでの流れを、自分の言葉で説明できるようになる
- 9人制と6人制が日本で分かれた理由がわかる
- 今のルールが何のために作られたのかを説明できるようになる
それでは、くわしく見ていきましょう。
結論:バレーボールの歴史は5つの節目でつかめる

先に結論からお伝えします。バレーボールの歴史は、誕生・日本への伝来・国際連盟の設立・オリンピック採用・ルールの大改正という5つの節目で整理できます。
細かい年号をすべて覚える必要はありません。どの節目で何が変わったのかがわかれば、今のルールの意味は自然につながります。
| 節目 | 時期 | 何が起きたか |
|---|---|---|
| ①誕生 | 1895年 | アメリカで、誰でも楽しめる競技として考案された |
| ②日本へ伝来 | 1908年ごろ | 日本に伝わり、16人制から9人制へと形を変えた |
| ③国際連盟の設立 | 1947年 | 世界共通のルールが整えられ、6人制が標準になった |
| ④オリンピック採用 | 1964年 | 東京大会で正式競技になり、日本中に広まった |
| ⑤ルールの大改正 | 1998年〜 | ラリーポイント制とリベロ制で、今の形になった |
この表の5行が、そのままこの記事の流れです。上から順に読めば、バレーボールがどう変わってきたのかが1本の線でつながります。
サルくん年号を覚えるのが苦手なんですよね…。



覚えなくていいよ。何のために変わったのか、そこだけ追いかけよう。
ここからは、5つの節目をひとつずつ見ていきます。最後に、歴史を知ると今のルールがどう見えてくるのかまで整理します。
1895年の誕生|激しすぎない競技として生まれた
バレーボールが生まれたのは1895年、アメリカのマサチューセッツ州ホリヨークにあるYMCAの体育館でした。
考案したのは、この施設で体育指導を担当していたウィリアム・G・モーガンです。歴史をたどると、名前が残っているのはこの1人だけになります。
誕生の理由は「バスケットボールが激しすぎた」から
当時のYMCAでは、少し前に生まれたバスケットボールが人気を集めていました。ただ、体のぶつかり合いが多く、年配の会員には負担が大きかったといわれています。
そこでモーガンは、相手と接触せず、体力に自信がない人でも楽しめる競技を作ろうと考えました。ネットで区切って相手コートへ返す形は、この発想から生まれています。
バレーボールに体の接触を伴う反則がほとんどないのは、この出発点が理由です。
最初から「ぶつからない競技」として設計されたわけですね。



ネットデ区切ルノハ安全ノタメダッタ



そう。だから今も、相手コートに入る行為だけは厳しく決められているんだ。
最初の名前は「ミントネット」だった
生まれたばかりのこの競技には、当初「ミントネット」という名前が付けられていました。今のバレーボールという呼び名ではありません。
翌年、ボールを床に落とさず打ち合う様子から、英語で「打ち返す」を意味するボレーにちなんだ呼び方が提案されます。
これが定着して、バレーボールという名前になりました。
名前の由来を知っていると、この競技がどこを大事にしているのかも見えてきます。落とさずにつなぐこと、それ自体が競技名になっているからです。
1908年の伝来|日本では16人制から9人制へ
バレーボールが日本に伝わったのは1908年ごろとされています。アメリカで学んだ大森兵蔵が紹介したのが最初だといわれています。
ただし、このとき伝わった形は、今のバレーボールとはかなり違いました。
伝わった当初は1チーム16人だった
日本に入ってきた当初のバレーボールは、1チーム16人でプレーする形でした。コートの広さは変わらないので、ほとんど隙間がない状態だったことになります。
そこから12人制へ、さらに1925年ごろには9人制へと人数が減っていきます。人が多すぎて、かえって動けなかったからです。
人数が減った理由は、1人が動ける範囲を広げるためでした。守る人を増やすほど強くなるわけではない、というのは今のバレーボールにもそのまま通じる話です。
9人制が日本に根づいた理由
人数が減る流れは世界でも同じでしたが、日本では9人制で止まりました。当時すでに学校や職場に広く普及していて、大会の形も9人制で固まっていたからです。
9人制はローテーションがなく、前衛と後衛の入れ替わりもありません。人数が多いぶん守りやすく、初めての人でも試合に入りやすい形になっています。



16人って、コートがぎゅうぎゅうじゃないですか!?



そうなんだ。動けるようにしていったら、今の人数に落ち着いたんだよ。
私も9人制の試合を見る機会がありますが、6人制とは守り方の考え方そのものが違います。同じ競技名でも、別の競技として整理したほうが理解しやすいと感じています。
だからこそ、今も家庭婦人バレーや実業団の一部で続いています。
歴史の途中で生まれた形が、そのまま別の道を歩んだと考えるとわかりやすいですね。
1947年の国際連盟設立|世界のルールが6人制にそろった
3つ目の節目は、1947年の国際バレーボール連盟(FIVB)の設立です。フランスのパリで、22の国と地域が参加して作られました。
それまで、ルールは国ごとにばらばらでした。人数もネットの高さもそろっていなければ、国際試合は成り立ちません。
国際連盟ができて何が変わったのか
国際連盟ができたことで、人数・コートの広さ・ネットの高さといった基本が世界共通で決められました。そして、標準となったのが6人制です。
翌々年には世界選手権も始まり、各国が同じ条件で戦えるようになります。ここでようやく、バレーボールは国際競技としてのスタートラインに立ちました。
今の私たちが当たり前のように使っているコートの寸法やネットの高さも、この流れの中で整えられたものです。



国ごとにルールが違ったら、試合になりませんね。



そうなんだ。まず物差しをそろえる。そこからが国際競技だよ。
ローテーションは「同じ役割を続けさせない」ための仕組み
6人制には、サーブ権を取るたびに全員が時計回りに1つ動くローテーションがあります。日本の9人制にはない決まりです。
この仕組みがあるおかげで、全員が前衛と後衛の両方を経験します。背が高い人だけが前でブロックし続ける、という形にはなりません。
ローテーションは、6人全員に攻守の両方をやらせるための決まりだと考えてください。覚えにくい反則が多いのも、この公平さを守るためです。



順番に回るのは、みんなが同じ仕事をするためだったんですね!
1964年のオリンピック採用|日本中に広まった転機
4つ目の節目は、1964年の東京オリンピックです。この大会で、バレーボールは初めて正式競技として採用されました。
しかも男女そろっての採用でした。当時としては珍しく、これが日本での広がり方を決めたといえます。
女子の金メダルが競技人口を押し上げた
東京大会では、日本の女子代表が金メダルを獲得しています。自国開催の大会での優勝は、当時の日本に大きな印象を残しました。
この前後から、学校の部活動や職場のチームが一気に増えていきます。
今も地域にママさんバレーのチームが多く残っているのは、この時期に広がった流れの延長線上にあります。
体育の授業でバレーボールを扱う学校が多いのも、同じ背景からです。日本でバレーボールが身近な競技になっているのは、偶然ではないんですよね。



近所にチームが多いのには理由があったんだ!



1964年ガ日本ノ広ガリノ起点ダ
国際大会が増え、競技として磨かれていった
オリンピックに入ったことで、4年に1度、世界の強豪が同じ場所で戦うようになりました。国際大会が増えれば、戦術も技術も速く進みます。
ブロックの跳び方やコンビ攻撃の形が整理されていったのも、この時期からです。勝つための工夫が国をまたいで共有されるようになったからですね。
1998年からのルール改正|ラリーポイント制とリベロで今の形へ
5つ目の節目が、1998年から翌年にかけて行われた大きなルール改正です。ここで、今のバレーボールの形がほぼ完成しました。
変わったのは大きく2つ。得点の数え方と、守備専門の選手を認めたことです。
サイドアウト制からラリーポイント制へ
それまでの得点は、サーブ権を持っているチームが勝ったときだけ点が入る形でした。これをサイドアウト制と呼びます。
この方式だと、点が入らないまま長い時間が過ぎることがありました。試合時間が読めず、テレビ中継や大会運営がとても組みにくかったわけです。
そこで1999年から、どちらが取っても点が入るラリーポイント制へ全面的に切り替わりました。1セット25点、最終セットのみ15点という今の形です。
1本ごとに必ず点が動くので、試合時間が読めるようになりました。見ている人にとっても、流れがわかりやすくなっています。



昔はサーブ権がないと点が入らなかったんですか!?



そう。だから25点で終わるのは、実はけっこう新しい決まりなんだ。
リベロ制で背の低い選手に居場所ができた
同じ1998年に、守備専門のリベロという役割も認められました。ほかの選手と違う色のユニフォームを着て、後衛でいつでも交代できる選手です。
背の高い選手が有利になりすぎた競技を、もう一度おもしろくするための改正でした。高さで勝てなくても、拾う力で試合に出られる道ができたわけです。
リベロ制は、背が低い選手のために作られた決まりだと言い切ってかまいません。
今ではチームの守備の柱として欠かせない存在になっています。
歴史を知るとルールの意味がつながる


ここまでの流れを振り返ると、ルールが変わってきた向きがはっきり見えてきます。最後に、その見方を整理しておきます。
ルールは「誰でも楽しめるか」で変えられてきた
誕生のきっかけは、激しすぎない競技を作ることでした。人数が減ったのは全員が動けるようにするため、リベロができたのは高さで負ける選手に出番を作るためです。
並べてみると、どの改正も「遊べる人・出られる人を増やす」方向に向かっています。競技を難しくするための変更は、ほとんどありません。
これは今のルールを覚えるときにも役立ちます。迷ったときは、どちらが公平かを考えると、たいてい答えに近づきます。
私が中学生に反則を教えるときも、最初に「この決まりは誰を守るためにあるのか」を話すようにしています。順番を逆にすると、覚える量だけが増えてしまうからです。



ルールは選手を縛る道具じゃないんだ。出番を増やすために変わってきたんだよ。
9人制もソフトバレーも同じ流れの中にある
日本には6人制のほかに、9人制やソフトバレー、ビーチバレーがあります。別の競技のように見えますが、成り立ちは同じ1本の流れから枝分かれしたものです。
人数が多くて守りやすい9人制、やわらかいボールで痛くないソフトバレー。どちらも、より多くの人が楽しめるように形を変えた結果だと考えてください。
自分がやっている形以外を知っておくと、引退したあとも続けやすくなります。
どれか1つを続けられなくなっても、別の入り口が残っているからです。



形は違っても、根っこは同じ競技だよ。どこかで必ずつながっている。
歴史を調べるときは公式の情報を当たる
自由研究やレポートで歴史を扱うときは、まとめサイトだけで済ませないようにしてください。年号や人数の説明が、資料によって食い違っていることがあります。
まずは競技を統括している公益財団法人日本バレーボール協会の情報を確認するのが確実です。ルールの本文や大会の記録は、ここが出しているものが基準になります。



年号ハ資料デ食イ違ウ。必ズ公式ヲ見ロ
よくある質問
まとめ:5つの節目を押さえれば歴史はつかめる
最後に要点を振り返ります。バレーボールの歴史は、次の5つの節目で整理できます。
| 節目 | 覚えておきたいこと | 今につながっている点 |
|---|---|---|
| 1895年の誕生 | ぶつからない競技として作られた | 体の接触を伴う反則がほとんどない |
| 1908年ごろの伝来 | 16人制から9人制へ人数が減った | 日本に9人制が残っている |
| 1947年の連盟設立 | 世界のルールが6人制でそろった | コートやネットの基準が共通になった |
| 1964年の五輪採用 | 東京大会で正式競技になった | 日本で競技人口が大きく増えた |
| 1998年からの改正 | ラリーポイント制とリベロができた | 25点制と守備専門の役割が定着した |
私は元日本代表として国内外の舞台を経験してきましたが、ルールは常に「もっと多くの人が楽しめるように」という向きで変えられてきました。
だから歴史を知っておくと、細かい決まりを丸暗記しなくてよくなります。なぜそうなっているのかを、自分で説明できるようになるからです。



5つの節目なら覚えられそうです!



それでいいんだ。理由がわかっていれば、ルールは自然と身につくよ。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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