- ママさんバレーがいつ、どうやって始まったのか知りたい
- 「家庭婦人バレーボール」という古い呼び名の意味が分からない
- 年代別の大会がたくさんある理由を知っておきたい
こんな悩みを解決します。
ママさんバレーは、1970年の第1回全国大会をきっかけに全国へ広がった、50年以上続く競技です。
私は元日本代表として活動し、SVリーグで監督を務めることができるバレーボールコーチ4の資格を保有しています。
体育館を借りて練習していると、となりのコートでママさんバレーのチームが試合形式の練習をしている場面によく出会います。
平日の午前中に、あれだけの人数が集まって競技として成立している。これは偶然ではなく、長い時間をかけて作られてきた仕組みの結果なんですよね。
ぜひこの記事を参考にしてみてください。
- ママさんバレーが生まれた時代背景と広がった理由が分かる
- 「家庭婦人」から「ママさん」へ呼び名が変わった経緯を理解できる
- 年代別の大会がある理由と、これから参加するときの見方が変わる
競技の全体像から知りたい方は、こちらの記事もあわせてどうぞ。
それでは、順番に見ていきましょう。
結論:ママさんバレーは「家庭婦人バレーボール」として始まった
ママさんバレーという呼び方は、もともとの正式な名前ではありません。
競技として整えられたときの名前は「家庭婦人バレーボール」でした。家庭を持つ女性が参加するバレーボール、という意味の名称です。
- 1964年に東京で開かれたオリンピックをきっかけにバレーボール熱が全国に広がった
- 婦人会やPTAといった地域の集まりで女性がバレーボールを楽しむようになった
- 1970年に第1回の全国大会が開かれ、バラバラだった活動が1本にまとまった
- 1979年に全国組織が発足し、大会と運営の仕組みが整えられた
ここでいちばん大事なのは、競技が先にあって人が集まったのではないという順番です。
すでに全国各地で女性がバレーボールを楽しんでいた。その広がりを受け止める形で、あとから大会と組織が作られていきました。
うさママ先に楽しんでいる人たちがいたんですね。



そうなんです。だから今も「勝つため」より「続けるため」の工夫が多いんですよ。
この順番を知っておくと、ママさんバレーの独特なルールや大会の作りにも理由が見えてきます。
年代別の大会が細かく分かれているのも、参加する人の側に競技を合わせてきた結果です。
全国に広がったきっかけは1964年のオリンピック
ママさんバレーが広がった出発点は、1964年に東京で開かれたオリンピックです。
この大会で日本の女子バレーボール代表が金メダルを獲得し、バレーボールという競技が一気に身近なものになりました。
地域の集まりが受け皿になった
当時、女性がスポーツを続けられる場所は多くありませんでした。
そこで受け皿になったのが、婦人会やPTAといった地域の集まりです。もともと人が集まる仕組みがあったので、そこにバレーボールが入っていきました。
バレーボールは、この形と相性がよい競技でした。
- 学校や公民館の体育館があれば場所を確保できる
- ボールとネットがあれば始められて、道具の負担が小さい
- 交代しながら人数を調整でき、参加人数の増減に対応できる
- 体がぶつかり合わないので、大人になってから始めても取り組みやすい
道具をそろえるお金も、専用の施設もほとんど必要ありません。
だからこそ、都市部から地方まで同じスピードで広がっていきました。



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バラバラの活動が同時に生まれた
一方で、この広がり方には課題もありました。
各地の活動がそれぞれ独立して生まれたため、ルールも試合の形式も地域ごとに違っていたのです。
隣の市と試合をしようとしても、条件をそろえるところから話し合う必要がありました。



地域ごとにルールが違ったんですか?



そうなんです。まとめる基準を作るために、全国大会が必要になっていきました。
1970年、第1回の全国大会が開かれた
大きな転機になったのが、1970年に開かれた第1回の全国大会です。
日本バレーボール協会と新聞社の共催という形で、「全国家庭婦人バレーボール大会」が始まりました。
これが、現在の全国ママさんバレーボール大会につながっています。
全国大会が果たした3つの役割
全国大会の意味は、順位を決めることだけではありませんでした。
- 各地でバラバラだったルールや試合形式の基準ができた
- 「県の代表として出る」という目標が地域のチームに生まれた
- 都道府県ごとに予選を運営する仕組みが必要になり、組織化が進んだ
目標になる大会があると、そこへ向かって地域の仕組みが整っていきます。
予選をやるには審判が要りますし、日程を組む人も要ります。大会が先にできたことで、運営する側の体制も自然に育っていきました。



大会が先で、組織があとだったんですね。



はい。必要になったから作られた、という順番なんですよ。
世界的にも珍しい取り組みだった
家庭を持つ女性を対象にした全国規模のスポーツ大会は、当時の世界でも例の少ないものでした。
生涯スポーツという言葉が一般的になるより前に、日本ではその形が動き出していたことになります。
1979年には全国組織として連盟が発足し、1983年には日本バレーボール協会の加盟団体になりました。
ここで、ママさんバレーは「地域の楽しみ」から「公式に位置づけられた競技」へと立場を変えます。
「家庭婦人」から「ママさん」へ、呼び名が変わるまで
ここで気になるのが、呼び名の変化です。
「ママさんバレー」という言い方自体は、報道などを通じて早い時期から使われていました。親しみやすい呼び方として、現場でも定着していったものです。
一方、大会や組織の正式名称はしばらく「家庭婦人」のままでした。
正式名称が「ママさんバレーボール大会」に変わったのは2001年、連盟の法人化と同じタイミングです。
呼び名の変化が示していること
名前が変わった背景には、参加する人の変化があります。
- 子どもが独立した世代や、子どものいない女性の参加が増えた
- 「家庭婦人」という言葉が実態と合わなくなってきた
- 幅広い年代が参加する形に、大会の中身も変わってきた
つまり、名称が実態に追いついたというのが正確なところです。
現在は「ママ」でなければ参加できないわけではありません。年齢や参加資格は大会ごとの要項で決まります。



子どもがいないと出られないのかと思っていました。



そこは大会の要項しだいです。まずは地域の連盟に確認するのがいちばん確実ですよ。
チーム探しの具体的な手順は、こちらの記事にまとめています。
年表で見るママさんバレーの歩み
ここまでの流れを、年表として整理しておきます。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1964年 | 東京で開かれたオリンピックで女子バレーボール代表が金メダルを獲得 |
| 1970年 | 第1回全国家庭婦人バレーボール大会が開かれる |
| 1979年 | 全国家庭婦人バレーボール連盟が発足 |
| 1983年 | 日本バレーボール協会の加盟団体になる |
| 1989年 | 年代別の「いそじ大会」が始まる |
| 1996年 | 年代別の「ことぶき大会」が始まる |
| 2001年 | 法人化し、大会名が「ママさんバレーボール大会」に変わる |
| 2011年 | 一般社団法人として登記される |
| 2016年 | 年代別の「おふく大会」が始まる |
| 2019年 | 全国大会が第50回を迎える |
こうして並べてみると、流れがはっきりします。
最初の20年ほどで「全国大会と組織」という土台が作られ、そのあとの30年は年代別の大会を増やす方向に進んできました。
競技を強くする方向ではなく、参加し続けられる入り口を増やす方向です。



50年カケテ入リ口ヲ増ヤシ続ケテイル
歴史から生まれた、年代別の全国大会
年代別の大会が次々に作られたのには、はっきりした理由があります。
長く続けている人ほど、同世代と対戦する機会が減ってしまうからです。
30代のチームと70代のチームが同じ組で戦えば、勝ち負けは体力差でほぼ決まってしまいます。
年代で区切ると、勝負が成立する
そこで、年代で区切った大会が用意されました。
- 全国大会…年齢の幅が広い基本の大会
- いそじ大会…50代からの年代を対象にした大会
- ことぶき大会…60代からの年代を対象にした大会
- おふく大会…70代からの年代を対象にした大会
年代がそろうと、技術と経験で勝負が決まります。これが、続けるための大きな支えになります。



同世代の中で勝負ができると、練習した分がそのまま結果に出ます。だから続くんですよ。
ただし、参加できる年齢の基準や条件は大会によって違います。数字を覚えるのではなく、出場する大会の要項を必ず確認するようにしてください。
最新の大会情報は、全国ママさんバレーボール連盟の公式サイトから確認できます。
9人制が主流なのも歴史の名残り
ママさんバレーで9人制が広く使われているのも、この歴史とつながっています。
地域の集まりから始まった競技なので、集まった人がなるべく多くコートに立てる形が選ばれてきました。
交代のルールやポジションの決まりも、6人制とは考え方が違います。



人数が多いのにも、ちゃんと理由があったんですね。



はい。1人でも多くコートに立てる形が選ばれてきたんですよ。
歴史を知ると、今の練習の見え方が変わる
歴史の話は、知らなくてもプレーはできます。
それでも知っておくと、チームの中で起きることへの向き合い方が変わります。
「続ける」が最優先だった理由が分かる
ママさんバレーのチームでは、仕事や家庭の予定で練習を休む人が出ます。
これを問題として扱うか、前提として扱うかで、チームの空気は大きく変わります。
歴史をたどれば、この競技はもともと生活の合間に楽しむために広がってきたものです。
だから、全員がそろわない前提でメニューを組むほうが、この競技の性格に合っています。



休む人がいるのは、前提だったんですね。



はい。だからこそ、少ない人数でもできる練習を用意しておくと安心なんですよ。
上を目指す道もちゃんとある
一方で、ゆるいだけの競技でもありません。
都道府県の予選を勝ち抜いて全国大会に出るチームがありますし、年代別の大会にも全国から代表が集まります。
- 生活の合間に楽しみながら、長く続けていく道
- 予選を勝ち抜いて全国大会を目指していく道
どちらを選んでも構いませんし、途中で変えても構いません。
チームに入る前に、そのチームがどちらの方向を向いているのかを確認しておくと、あとで悩まずにすみます。
よくある質問
まとめ
この記事では、ママさんバレーの歴史をお伝えしました。
要点をあらためて整理しておきましょう。
| 知りたいこと | 答え |
|---|---|
| 広がったきっかけ | 1964年に東京で開かれたオリンピック |
| 第1回の全国大会 | 1970年 |
| 全国組織の発足 | 1979年 |
| 呼び名が正式に変わった年 | 2001年 |
| 主流の人数 | 9人制 |
| 大会が年代別に分かれる理由 | 同世代で勝負を成立させるため |
覚えることは、そう多くありません。
ママさんバレーは、強い選手のために作られた競技ではありません。すでにバレーボールを楽しんでいた人たちの活動を、あとから大会と組織が支えてきた競技です。
だから今も、勝つことと同じくらい「続けられること」が大事にされています。
競技のほうが人に合わせてきた歴史が、そのまま今のルールと大会の形に残っています。
なお、参加資格や大会の区分は連盟や地域によって違います。
出場を考えるときは、必ずその大会の要項を確認してください。
競技規則そのものを確かめたいときは、日本バレーボール協会の公式サイトから案内をたどれます。
私は元日本代表として活動し、SVリーグで監督を務めることができるバレーボールコーチ4の資格を保有しています。
その立場から見ても、この競技のいちばんの強みは技術ではなく、続く仕組みを持っていることだと感じています。



理由が分かったら、もっと楽しめそうです!



そのとおりです。背景を知ってから始めると、チーム選びも上手になりますよ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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